目的の正当性から考え直そうじゃないか
「買ってはいけない」という本が席巻した時があった。あれこそ、企業の商品の脆弱性を検証も不十分なまま出版し、一時、掲載された商品の売り上げを大きく落としたことを記憶している方も多いでしょう。
つまり
消費者活動というスタイルで考えられないだろうか
商品を買うのも、そのサイトに個人名を入力するのも、その企業(ACCS)を信用しているからで、信用の根拠は企業(ACCS)に対し、
検証する術を一般は持たないため、社会的評価を鵜呑みにするしかない
という状況に批評を加えたとは考えられないだろうか。
更に、好意的解釈と言われそうだが、彼が公的機関をターゲットにしたのは、営利企業だと金額的に損害を与えかねないし、自身が目指せば風評で株価操作もできたはずだ。
いわゆる、セキュリティ・ゴロだ。
雑誌等でセキュリティ・ゴロを名乗りながら、彼は一時、銀行等を指摘したこともあったが、特定企業を槍玉に挙げることはしなくなった。
公的機関をターゲットにしたのは、国家に対しての警鐘という意味合いだけ着目され、目を付けられたのだから当然という見方が多いが、 営利企業に金銭的な損害を与えるのを避ける意味合いもあったのではないか
当然、株価操作は犯罪になるし、売上げに影響した場合の損害賠償は一個人には不利だろう。彼は雑誌ではゴロを気取っていながら、己の倫理観は失っていなかったのかもしれない。
注目を集める手法を取ったために誤解されているが、目的は個人情報保護のために企業(ACCS)の脆弱性を一般に代わって指摘し、社会の安全を高めるという目的は崇高なものではなかったか。
全体を見渡せば、彼の注目を集める手法は決してスマートではなく、それが彼自身を逮捕まで追い詰めたが、彼自身が利することはなかったことを見ると、リスク覚悟で警鐘を鳴らした彼の不器用な正義が見えてくる。
所謂、正当業務の範囲に収まるはずであり、これを否定されたら評論や報道は成り立たない
そこまで考えている人はどのくらいいるだろう。
論点は、彼の目的に正当業務が認められるかである。
さらには、言論の自由が制限されかねない
原発の危険性を訴えるのと、どこまで違う?
という安易な図式を描くのに比べ、インターネットのハッカーは如何にも未知で怖く、とても悪い奴に思えるのが一般的な感情なのでしょう。
(原発の運用・管理への指摘は尤もであるが)
「環境問題」と「サイトの脆弱性」は、一般が個人で検証できない問題であり、それを指摘する行為に違いは無いと考えられないだろうか